日本通運ねぶた実行委員会
日出処の天子
作: 林 広海
聖徳太子は馬小屋の前で生まれたことから「厩戸皇子」とも呼ばれ、推古天皇の摂政として、大臣の蘇我馬子と協力して政治を行い、十七条憲法や冠位十二階を作り、天皇を中心とした国づくりを目指しました。
外交にも力を入れ、隋の進んだ制度や文化を取り入れるため、小野妹子を「遣隋使」として隋の国へ送り、その時「日出る処の天子、日没する処の天子に書を致す」という国書を隋の皇帝に渡しました。
聖徳太子はまた仏教を深く信仰し、現在の大阪府の四天王寺、奈良県の法隆寺を建て、仏教を日本に広めました。
ねぶたは極楽浄土にいると言われる迦陵頻伽が舞う中、仏教を守護する毘沙門天の御加護を受け、七星剣をかざし、破邪顕正、恒久平和「和を以て貴しと為す」を希求する聖徳太子の御姿である。