青森市役所ねぶた実行委員会
火牛 倶利伽羅峠を制す
作: 穐元 和生
時は、源頼朝が武家社会を築き鎌倉に幕府を開く十年ほど前。頼朝の従兄弟にあたる源義仲(木曽次郎義仲)は平家追伐のため旗揚げし、怒濤の勢いで進軍を開始していた。
寿永二年(1183年)、義仲の軍勢は、現在の富山県と石川県の県境にある「倶利伽羅峠」で、平維盛率いる平家軍との戦を迎える。
このとき義仲がとった奇襲の戦法が、古代中国の武将が用いた策「火牛の計」である。闇夜の中、火をつけた「たいまつ」を角にゆわえた五百頭の牛を、山の上から敵陣に突入させ、平家軍一万八千騎を谷底に突き落とし勝利を収めたといわれる。
その後義仲は平家を京の都から追放、上洛し、征夷大将軍に任ぜられるが、頼朝との戦に敗れ、短い生涯を閉じることとなる。