日立連合ねぶた委員会
蒙古襲来
作: 渋谷 一擲
ユーラシア大陸のほぼ全域を征服し続いて世界制覇に向けて動き始めた蒙古が、文永五年(一二六十八年)日本に服属を求めて来た。鎌倉幕府は周章狼狽しつつも頑として応ぜず、再三の要求を無視し続けた。
六年後の文永十一年十月ついに痺れを切らした蒙古は、武力を持って制圧しようと、総勢三万余、九百余艘の船団が怒濤のごとく押し寄せてきた。
対馬・壱岐を瞬く間に蹂躙し時を経ずして博多湾に現れた。これを迎え撃つべく幕府の命を受けた御家人達は、竹崎季長(たけざきすえなが)を先頭に、朝霧の中、突如として数十艘の小舟から敵船に踊り入んで戦った。
戦闘は大苦戦だった。ところが不思議なことに圧倒的に強かったはずの敵が一晩で煙のように掻き消えたのである。
一説には台風を恐れて退いたといわれているが、実際に二度目の襲来の時、大きな台風に遭い、すさまじい強風波浪に敵船は木の葉のように翻弄され、大半が海底に沈み蒙古軍は壊滅してしまった。